國譯資治通鑑第十一 巻の第一百八十五 唐紀一 高祖神堯大聖光孝皇帝上の上 続き 6

()はずして(のち)(おい)(こと)(あらわ)れなば、(また)族滅(ぞくめつ)(まぬか)れじ。

()(かん)せん。(また)()く、(かん)(ない)(りん)(ぼつ)し、(二六(26)()(こう)(じょう)()(いん)(もっ)(そむ)けりと。

(じょう)其二(そのに)(てい)(とら)へ、(これ)(ころ)さんと(ほっ)す。

()(ともがら)()(ぞく)(みな)西(にし)()り。()()(おもんぱかり)()からんやと。』

()(たり)(みな)(おそ)れて()はく、(しか)らば(すなわ)(けい)(まさ)()(いず)くに()でんとする」と。

(とく)(かん)()はく、『(ぎょう)()()()げなば、(これ)(とも)()らんに()かじ』と。

()(たり)(みな)()はく、『()し』と。

()つて(うた)(あい)(しょう)(いん)す。(ない)()(しゃ)(じん)(げん)(びん)虎牙郎将(こがろうしょう)趙行(ちょうこう)(すう)鷹揚郎将孟秉(ようろうしょうもうへい)・(二七)()()(ろう)(ぎゅう)(ほう)(ゆう)(ちょく)(ちょう)(きょ)(こう)(じん)(せつ)(せい)(りょう)(じょう)(もん)(ろう)(とう)(ほう)()()(せい)(ちょう)(がい)(くん)()(よう)()(らん)()(みな)(これ)(はかりごと)(おな)じくし、(にち)()(あい)(けつ)(やく)し、(こう)()(おい)(あき)らかに(はん)(けい)(ろん)じ、()()する(ところ)()し。

(きゅう)(じん)あり(しょう)(こう)(もう)して()はく、()(がい)(かん)(ひと)(びと)(はん)せんと(ほっ)()と。

(こう)()はく、『(なんじ)(これ)(そう)するに(まか)す』と。

(きゅう)(じん)(てい)()ふ。(てい)(おお)いに(いか)()()へらく()ふべき(ところ)(あら)ずと。

(これ)()る。(その)(のち)(きゅう)(じん)(また)(こう)(もう)す。

(こう)()はく、『天下(てんか)(こと)一朝(いっちょう)にして()(いた)る。(すく)()(もの)()し。(なん)(これ)()ふを(もち)ひん。(いたずら)(てい)をして(うれ)へしめんのみ』と。

(これ)より。()()(もの)()し。

(ちょう)(こう)(すう)(しょう)(さく)(しょう)(かん)()(ぶん)()(きゅう)(もと)より(あつ)し。(よう)()(らん)()(きゅう)(おい)なり。

()(にん)(はかりごと)(もっ)()(きゅう)()ぐ。

()(きゅう)(おお)いに(よろこ)ぶ。

(とく)(かん)()(さん)(がつ)(ぼう)(じつ)(もっ)(とう)(むす)びて西(にし)(のが)れんことを()す。

()(きゅう)()はく、『(しゅ)(じょう)()(どう)なり(いえど)も、()(れい)((おこな)はる。(けい)()()()らば、(まさ)(とう)(けん)(ごと)()()らんのみ。(いま)(てん)(じつ)(ずい)(ほろぼ)し、(えい)(ゆう)(なら)(おこ)り、(こころ)(おな)じくして(そむ)(もの)(すでに)(すう)(まん)(にん)なり。()って(だい)()(おこな)はば、()(てい)(おう)(ぎょう)なり』と。

(とく)(かん)()(これ)(しか)りとす。

(こう)(すう)(せつ)(せい)(りょう)()(きゅう)(あに)(ゆう)(とん)(えい)(しょう)(ぐん)(きょ)(こう)()(きゅう)(もっ)(しゅ)()さんと()ふ。

(けつ)(やく)(すで)(さだ)まり、(すなわ)()(きゅう)()ぐ。()(きゅう)(せい)()(きょう)にして、(これ)()き、(いろ)(へん)(あせ)(なが)す。

(すで)にして(これ)(したが)ふ。

(とく)(かん)(きょ)(こう)(じん)(ちょう)(がい)をして、(二十八)()(しん)()(はい)り、(しる)(ところ)(もの)()げて()はしむ、『陛下(へいか)驍果(ぎょうか)(そむ)かんと(ほっ)するを()き、(おお)(どく)(しゅ)(かも)し、享會(きょうかい)()りて(ことごと)(これ)(ちん)(さつ)し・(ひと)(なん)(じん)(とも)(ここ)(とど)まらんと(ほっ)す』と。

(ぎょう)()(みな)(おそ)れ、(うた)(あい)(こく)()し、(はん)(ぼう)(ます)(ます)(きゅう)なり。

(いつ)(ぼう)(とく)(かん)(ことごと)(ぎょう)()(ぐん)()()し、(さと)すに()(ところ)(もっ)てす。

(みな)()はく、『()(しょう)(ぐん)(めい)のままにせん』と。

(この)()、(二十九)(ふう)(まい)(ひる)(くら)し。

()()(とく)(かん)(ぎょ)(きゅう)(うま)(ぬす)み、(ひそか)(へい)(じん)()ぐ。

(この)(ゆうべ)(げん)(れい)(はい)(けん)(とう)(かっ)()(ちょく)し、(もっぱ)殿(でん)(ない)(つかさど)る。

(とう)(ほう)()(じょう)(もん)()づるを(つかさど)る。

(けん)(とう)(あい)()り、(しょ)(もん)(みな)(かぎ)(おろ)さず。

(さん)(こう)(いた)り、(とく)(かん)(とう)(じょう)に於て(へい)(あつ)め、(すう)(まん)(にん)()()()げて(じょう)(がい)(あい)(おう)ず。

(てい)()(ぼう)(けん)し、()()(そと)(けん)(ごう)するを()き、『(なに)(ごと)ぞ』と()ふ。

(けん)(とう)(こた)へて()はく、『(そう)(ぼう)()(しっ)し、(がい)(じん)(とも)(これ)(すく)ふのみ』と。

(とき)(ない)(がい)(かく)(ぜつ)し、(てい)(もっ)(しか)りと()す。

()(きゅう)(もう)(へい)(とも)に、(三〇)(じょう)(がい)(おい)(せん)()(にん)(あつ)め、(三一)(こう)(えい)()(ほん)(ふう)()(らく)(おびやか)して、(へい)()()(こう)(ぶん)(しゅ)せしむ。

(三十二)(えん)(おう)(たん)(へん)()るを(さと)り、(よる)(ほう)(りん)(もん)(かたわら)(すい)(とう)穿(うが)ちて()り、(げん)()(もん)(いた)り、(いつわ)(そう)して()はく、『(しん)(にわか)(ふう)(あた)り、(めい)()(けい)(かか)る。()(めん)()するを()ん』と。

(はい)(けん)(とう)()(もっ)(ぶん)せず、(これ)(しゅう)(しゅう)す。

(へい)(しん)(てん)(いま)()けず。

(とく)(かん)(けん)(とう)(へい)(さず)け、(もっ)(しょ)(もん)(えい)()()わらしむ。

(けん)(とう)(もん)より、(すう)(ひゃく)()(ひき)いて(せい)(しょう)殿(でん)(いた)る。

宿(しゅく)(えい)(もの)()(ぞく)()()(でん)()す。(けん)(とう)(すなわ)(かえ)りて諸門(しょもん)()ぢ、(ひとり)(とう)(もん)(ひら)き、殿内(でんない)宿衛(しゅくえい)(もの)()り、()でしむ。

【二六】事、前巻前年に見ゆ。

【二七】隋初、門下省は城門・尚食・尚薬・符璽・御府・殿内等の六局を統べ、各々直長あり。煬帝、城門・尚食・尚薬・御府等の五局を以て殿内省に隷し、符璽監を改めて郎と為す。城門に校尉を置く。後又校尉を改めて城門郎と為す。又、司醫・醫佐等の官を置く、醫正は即ち司醫なるべし。勲侍は三侍の一なり。

【二八】帝、左右領左右府を改めて左右備身府と為す。

【二九】霾。土を雨らすなり。

【三〇】城外。江都宮城の外を請ふ。

【三一】左右候衛は晝夜巡察するを主る、故に之を劫す。普楽は蓋し虎賁郎将なり。

【三二】倓は元徳太子昭の子、代王侑の弟。

『続国訳漢文大成』経子史部 第11巻,国民文庫刊行会,昭3至7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1239984 (参照 2024-10-26)

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