王世充、既に東都の兵を得、進みて李密を洛北に撃ち、之を敗り、遂に 4鞏北に屯す。
辛酉、成充(王世充)、諸軍に命じ、各々浮橋を造り、洛を度りて密(李密)を撃たしむ。
橋先ず成る者先ず進み、前後、一ならず。
虎賁郎将王辯、密の外側を破る。
密の営中、驚擾して将に潰えんとす。
世充、知らず、角を鳴らして衆を収む。
密因つて敢死士を帥いて之に乗ず。
世充大いに敗れ、橋を争うて溺死する者萬餘人。
王辯・死し、世充僅かに自ら免る。
洛北の諸軍皆潰ゆ。
世充敢て東都に入らず、北して河陽に趣く。
是夜、疾風寒雨、軍士、水を渉りて沾濕し、道路に凍死する者、又、萬を以て数ふ。
世充獨り千人と與に河陽に至り、自ら獄に繋がれて罪を請ふ。
越王侗、使ひを遣はして之を赦し、召して東都に還らしめ、金帛・美女を賜ひ、以て其意を安んず。
世充、亡散を収合し、復た萬餘人を得、5含嘉城に屯し、敢て復た出でず。
密、勝に乗じ進みて金墉城に據り、其門堞盧舎を修めて之に居る。鉦鼓の聲、東都に聞ゆ。
國譯資治通鑑 解説文
4 鞏北。鞏縣の北
5 含嘉城。蓋し都城の北に在り。舊唐書王世充傳によれば含嘉倉城なり
投稿者個人 用語解説
意味:沾濕→濡れること 東都→漢・唐では洛陽。西都は長安。
※投稿者が解説しています。間違いがあるかもしれません。ご容赦ください。
『続国訳漢文大成』経子史部 第11巻,国民文庫刊行会,昭3至7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1239984 (参照 2024-10-26)