文学博士 加藤繁 公田連太郎 譯丼註
1 高祖神堯大聖光孝皇帝上の上
2 武徳元年、春正月丁未朔、 隋の恭帝、唐王に詔し、剣履して殿に上り、賛拝するに名いはざらしむ。
唐王既に長安に克ち、書を以て諸郡縣に諭す。
是に於て東は3商落より、南は巴蜀を盡し、郡縣の長利及び盗賊の渠帥・氐羌の酋長、争うて子弟を遣はし、入見して・降らんと謂う。
有司復書すること、日に百を以て数う
國譯資治通鑑 解説文
1 高祖。諱は淵 字は叔徳。本(出身)、隴西成紀の人、七世の祖暠、西涼に王たり、是を涼の武昭王と為す。曾孫熙に至りて武川に家す。熙の孫虎、周の文帝に従い、始めて長安に家す
2 武徳元年。是年五月、隋の禅を受け、始めて改元す。西紀六一八年
3 商落。縣の名、上洛郡に属す。今の陝西省関中道商縣の東八十五里にあり
※投稿者個人の解説
唐王朝の姓は「李」
七世:李暠(涼の武昭王)→六世:李歆→五世:李熙→四世:李天賜→三世:李虎(唐国公)
→二世:李昞→一世:高祖 李淵
周の文帝(北周の太祖 宇文泰 武成元年 西紀五五九年 文帝を追諡)
『続国訳漢文大成』経子史部 第11巻,国民文庫刊行会,昭3至7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1239984 (参照 2024-10-26) P1
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