國譯資治通鑑第十一 巻の第一百八十五 唐紀一 高祖神堯大聖光孝皇帝上の上 続き 5

(二一)(たん)(よう)(みやこ)し・(こう)(とう)(ほう)(きょ)せんと(ほっ)し、(ぐん)(しん)(めい)じて(これ)(てい)()せしむ。

(ない)()()(ろう)()(せい)()()(みな)(もっ)()しと()す。(ゆう)(こう)(えい)(たい)(しょう)(ぐん)()(さい)(きわ)めて()()()べ、『()ふ、(しゃ)()(ちょう)(あん)(かえ)らん』といふ。

(せい)()忿(ふん)(そう)して()づ。(二二)(もん)()(ろく)()(二三)(こう)(すい)李桐客曰(りとうかくい)はく、()(こう)(とう)()(しゅう)にして、()()(けん)(きょう)なり。(うち)萬乗(よろずじょう)奉じ(ほうじ)(ほか)(さん)(ぐん)(きゅう)せば、(たみ)(めい)()えじ。(また)(おそ)らくは(つい)(さん)(らん)せんのみ』と。

(ぎょう)()(とう)(かく)(がい)す、『(ちょう)(せい)(ぼう)()す』と。

(ここ)(おい)(こう)(けい)(みな)()(おもね)りて()ふ、『江東(こうとう)(たみ)(みゆき)(のぞ)むこと(すで)(ひさ)し。陛下(へいか)(こう)()ぎ、()して(これ)(のぞ)まば、()れ(二四)大禹(たいう)(こと)なり』と。

(すなわ)(めい)じて(たん)楊宮(ようきゅう)(おさ)めしめ、(まさ)(うつ)りて(これ)(みやこ)せんとす。

(とき)(こう)()(りょう)()き、(じゅう)()(ぎょう)()は、(おお)(かん)(ちゅう)(ひと)なり。

(ひさ)しく(かく)となりて(きょう)()(おも)ひ、(てい)西(にし)する(こころ)()きを()(おお)く・(そむ)きて(かえ)らんことを(はか)る。

(ろう)(しょう)(とう)(けん)(つい)(しょ)()(ひき)いて西(にし)(はし)る。

(てい)()(つか)はし、()うて(これ)()らしむ。

(しか)れども()ぐる(もの)(なお)()まず。

(てい)(これ)(うれ)ふ。()(ほん)(ろう)(しょう)()(ふう)()()(とく)(かん)(もと)より(てい)(ちょう)()り。

(てい)(ぎょう)()(りょう)して(とう)(じょう)(とん)せしむ。

(とく)(かん)()(ところ)()(ほん)(ろう)(しょう)(げん)(れい)・(二五)(ちょく)(こう)(はい)(けん)(とう)(はか)りて()はく、『(いま)(ぎょう)()(ひと)(びと)()げんと(ほっ)す。(われ)(これ)()はんと(ほっ)すれども、(おそ)らくは(こと)(さき)だちて(ちゅう)()けん。

【二一】丹楊。帝、蒋州を改めて丹楊郡と為す。蓋建康に都せんと欲するなり。

【二二】隋の制、門下省に、録事・通事令史各々六人を置く。

【二三】衡水縣、信都郡に屬す。本、漢の桃縣。開皇十六年、信都の北界、武邑の西界、下博の南界を分ちて置く。(今の直隷省大名道衡水縣。)

【二四】禹、南に巡狩して諸侯を會稽に會す。

【二五】煬帝の制、左右監門府に、直閣各々六人有り、正五品。

『続国訳漢文大成』経子史部 第11巻,国民文庫刊行会,昭3至7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1239984 (参照 2024-10-26)

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