隋の煬帝、(一七)江都に至り、荒淫益々甚だしく、宮中に百餘房を爲り、各々供張を盛にし、實つるに美人を以てし、日々に一房をして主人と為らしむ。
江都の群丞趙元楷、酒饌を供するを掌る。
帝、蕭后及び幸姫と、歴就して宴飲し、酒巵、口を離れず。
従姫千餘人、亦常に酔ふ。
然れども帝、天下の危亂するを見、意亦擾擾として、自ら安んぜず。
朝を退けば則ち幅巾短衣し、杖を策きて歩遊し、徧く臺館を歴、夜に非ざれば止めず。
汲汲として景を顧み、唯だ足らざらんことを恐る。
帝、自ら占候卜相を曉り、好みて呉語を為す。
嘗て夜置酒し、天文を仰ぎ視、蕭后に謂つて曰はく、『外間、大に人有りて(一八)儂を圖る。然れども儂は(一九)長城公と為るを失はず、卿は(二〇)沈后為るを失はじ。且く共に樂飲せんのみ』と。
資治通鑑 用語解説
(一七)大業十二年、煬帝、江都に至る。
(一八)呉人率ね自ら稱して儂と曰ふ
(一九)長城公。陳叔寶をいふ
(二〇)沈后。叔寶の后沈氏
『続国訳漢文大成』経子史部 第11巻,国民文庫刊行会,昭3至7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1239984 (参照 2024-10-26)