未だ幾ばくならずして、兵三十餘萬を擁して北邙に陳し、南のかた上春門に逼る。
乙丑、金紫光祿大夫段達・民部尚書韋津、兵を出して之を拒ぐ。
達、密の兵の盛なるを望見し、懼れて先づ還る。
密、兵を縱ちて之に乗ず。軍潰ゆ。
韋津・死す。
是に於て偃師・柏谷及び河陽の都尉獨孤武都・検校河内郡丞柳爕・㈥職方郎柳續等、各々所部を學げて密に降る。
竇建徳・朱粲・孟海公・徐圓郎等、竝に使を遣はし、表を奉りて歓進す。
密の官屬裵仁基等、亦上表し、位號を正さんと請ふ。
密曰く、『東都未だ平がず。此を議す可からず』と。
戊辰、唐王、世子建成を以て左元帥と為し、秦公世民を右元帥と為し。諸軍十餘万人を督して東都を救はしむ。
戊辰、唐王、世子建成を以て左元帥と為し、秦公世民を右元帥と為し。諸軍十餘万人を督して東都を救はしむ。
國譯資治通鑑 解説文
㈥職方郎。隋の制、職方郎は兵部尚書に屬す。
『続国訳漢文大成』経子史部 第11巻,国民文庫刊行会,昭3至7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1239984 (参照 2024-10-26)